人の金でスシが食べたい🍣

だらだらやっていく

日記ではないもののお墓

 漢字の書き取りが苦手だ。頭の中では正しい姿なのに、書いてみると偏と旁がいつも逆になってしまう。左隣の席の奥村君は、習字が得意で、硬筆でもいつも綺麗な字を書いていた。彼が黒板の内容をノートに写す右手の動きを、授業中私はしばしば眺めていた。たぶん、あまりにもじっと見過ぎていたのだろうか、ある時「どうしたの?」と聞かれたことがあった。「先生が黒板書くのが速くてついていけないんだ。私は文字を書くのが苦手だし。」「僕だって速く書くのはそんなに得意じゃないよ。漢字がうろおぼえだと速く書けないから毎日書取やるとできるようになるよ。小川さんだって計算は得意だから問題解いて書くのめちゃくちゃ速いじゃない。板書曲がってるけど。」元来彼は面倒見のよい性格らしく、しばらくの間、朝の自習の時間に漢字書取耐久レースに付き合ってくれた、というか付き合わされた。漢字練習帳にひたすら同じ単語を手書きする。創作創作創作創作創作創作…。あまりうまくもない自分の字を見せられて苦行以外の何物でもなかったが、彼は終了時間になると「今日は創作という字を50回も書いたから完璧だねぇ。」と私のことを褒めて満足そうだった。その晩、布団に入って目を閉じて眠るまで私の目の前には、ずっと「創作」の手書き文字が浮かび続けていた。

 12月。席替えがあった。もうあと数ヶ月で卒業だし、好きなところに座っていいですよと担任が発言したためクラス中はわぁっと湧いていた。あまり仲のよい友達のいない、孤立気味だった私は特になにも考えず、一番前の席に座った。相変わらず板書を写すのは苦手だったから、黒板がよく見える席のほうがよいと思ったのかもしれない。奥村君は「僕も前がいいけど一番前はもう嫌だな~。」と言いながら私の後ろの席に座っていた。慣れている人が近所にいるのは心強いが、隣じゃないからもう字を書く右手があまり見られないので残念だなと思った。


 2月。入試シーズンで休むクラスメイトが多くなってきた。クラスでは休んだ人のために、同じ班の人が翌日の連絡事項を紙に書いて届けるというシステムがあったが、字を書くのが苦手な私は極力やらなくて済むよう、あの手この手で逃れていた。しかし、私立校の入試日だったある日。奥村君を含めた班員全員が欠席という日がついに訪れ私はしぶしぶこの気の進まない書き物をやることになった。大丈夫、大したことを書くわけではないからきっと大丈夫。『今日やったこと、体育で創作ダンス。』少し曲がってしまったが、漢字は間違えずに一発で書くことができた。ふと、今頃試験問題の解答を書いているであろうあの右手を思い出した。あと、休んだ人へのメッセージ。『奥村君が休みでつまらなかったです。』やっぱり少し曲がったけど、文章は書き方にあるテンプレート通り。奥村という字も間違えずに書けているはずだが、何度見返しても私の頭の中の姿とは違う気がした。少し考えて、「班の皆が試験でお休みで、とても静かでした」に書き換えた。真っすぐ、綺麗に書くことができた。


 卒業式の3日前。私は熱を出して欠席した。連絡事項は奥村君の字だった。綺麗で、とても読みやすい。『周りがうるさかったので特に静かではありませんでしたが、小川さんが休みだったのでつまらなかったです。』そうか、つまらなかったか~。それはとてもよかったね、と思い少しだけ笑った。